野島青茲

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日本画家 野島青茲

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   本名 清一
   大正4年 細江町気賀 吉野屋旅館の長男として生まれる。 
   尋常高等小学校卒業後上京。
   東京府立四中時代16才で、松岡映丘画塾に入門。
   東京美術学校日本画科を卒業。この年、恩師映丘逝去。
   山本丘人、杉山寧、高山辰雄、浦田政夫らの日本画研究グループに参加。
   27才の時中村岳陵に師事。  


画歴  
昭和11年(1936) 21才  文部省美術展覧会初出品 入選 (田の草取り)  
昭和14年(1939) 24才  第一回日本画院展 日本画院賞 (飼鳩) 
 昭和19年(1944) 29才 文部省国宝保存会 法隆寺金堂壁画模写
中村岳陵班員として参加 
昭和24年(1949) 34才 第五回日本美術展覧会 特選  (博物館) 
昭和26年(1951) 36才  第七回日本美術展覧会 再度特選 (仮縫い)  
昭和27年(1952) 37才  第8回日本美術展覧会出品 以降無鑑査依嘱 (塑像)
昭和35年(1960) 45才  第三回 日展 菊花賞 (モデル) 
昭和36年(1961) 46才 第四回 日展 会員審査員(髪)  
昭和40年(1965) 50才  第八回 日展 文部大臣賞 (母子像)  
昭和43年(1968) 53才  法隆寺壁画再現模写 橋本明治班参加
第八号壁「文殊菩薩」担当 
昭和46年(1971) 56才  1月急性心不全により急逝 享年55才
   



青茲と妹達。(昭和6年8月)

青茲16歳。青茲は男一人の長男で生まれる。父、勘作は青茲を医者にしたく東京に出すが青茲は天性の画の素質があったのか反して美校に入り画の道に進む。







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