野島青茲

青茲手記

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青茲・作品





東京芸術大学像(1938年)

芸大美術館で見られるかも知れません。


高瀬五畝(富士)

我が青春像2

昭和43年8月16日
日本画に魅せられて
松岡映久先生の門下生に                                      
美校時代文展に連続入選


幼時からからだが虚弱だったこともあって、読書とか手いたずらが自分にかなっていた。いつのころから絵を描きだしたのか周囲には全くそんな刺激はなかったけれど、かなり小さいときから絵は描いていた。別に教えてくれる人もなくただわけもなく好きで絵を描いていた記憶はいまもあざやかである。

 
それがやがて文芸や絵画に対する興味を次第にふくらませ、はぐくみ目を開いてくれたのは童話、寓話、童画を次々と選んでくれる月刊の雑誌類だった。早くからこの方面に目は向いていて、関心はいよいよつのる一方であった。たまたま東京の中学に進学したことが、これにさらに拍車をかけることになってしまった。
 毎秋、上野では公募展が多く開催され、当時は少なかったとはいえ、デパート画廊の街頭展もあり、絵の好きな少年を刺激しないわけはない。はじめて見る本物の日本画、油絵、彫刻などに全身驚異の固まりのようになって、一点一点心をふるわせながら食い入るようにして見て回った。どんな絵の具でどんな方法で描くのかも知らずただもう夢見心地のようであった。展覧会巡りもやや落ち着くと自然にはっきりした自覚はなかったけれど、日本画に興味が集中して来た。恐らくまだ思想的にわかるわけではなく、体質的本能的なもののようであったと思う。


中学は勉強に追いまくられる四中であったため最初のうちは絵も描くひまもなかった。だんだんになれて日曜日などには相変わらず少しずつ描き始めていた矢先でもあり、日本画に興味の目が向き始めると、もう矢も楯もなく日本画が描きたくなったものの、どうやって描くのか皆目見当もつかない。たまたま新宿で一軒の日本画材料店を発見して、ここの親父に簡単な手ほどきを受け描き始めたのが日本画入りの第一歩になった。こうなるともう病はつのるばかり、めずらしさや面白さが手伝って深間へ深間へ陥りこむ一方であった。
 エリートコースを順調に歩いてくれるとのみ楽しみにしていてくれた郷里の父には、全く相すまないことであった。


そして、さらにいけない事態が身辺に起こった。何回目かの休暇の帰省の折に、旅館であるわが家に滞在して、画会で町の人たちの依頼画を描いていた高瀬五畝先生とのめぐりあいである。多少の下地はあり、本物の先生が本物の日本画を、描くのを目の前に毎日見られたのだから、芽生えていた日本画へのたちまちにぐんぐんまたもや育ってしまった。
 この先生が東京であり、いよいよ画家志望はつのって、ついつい日曜日ごとに三田四国町の先生のお宅通いが始まって、ちょうど一年間、日本画の指導を受けた。中学三年の時であった。この先生が親切な方で本当に画画になるのなら美術学校に入学しなくてはと、当時学校の教授であった松岡映久に入門の労をとってくださった。勉強は一段と本格的になって来た。


未知の絵の世界への憧憬(どうけい)は大きくひろがり、何にもかえ難い美しい夢の世界に見え、全身全霊を打ち込まずにはいられない気持ちでいっぱいであった。四中の教師や父の猛反対も、その情熱の前には矛(ほこ)をおさめざるを得なかった。青年の血気であった。
人生を体験し人の子の父であるいま、当時の父の不安や憔悴(しょうすい)が手にとるようにわかり、これは昔から幾度か繰り返され続けて来た人間関係の避け難い宿命とさえ思えるが、まことに不肖のことであった。
 松岡先生門下生中で私は末子に当たり、現在第一線で活躍されている当時からすぐれた先輩も多く、先生には絵に対する目を開いていただいた。実に幸いな踏み出しであった。美術学校も順調に進み文展二回入選と続いてめでたく卒業した。翌年に先生は逝去され、当然のように先輩たちも散り散りになり画壇的には孤児になってしまった。

まだ羽根も生えそろわないひな鳥がより所も目標も失って、同じ境遇の友人たちと肩を寄せ合って勉強は続けていたものの急に大きな海へほうり出されたような心細さだった。それから私の暗い青春が始まる。


芸術に志す者には必ずこの陰の時代があるもので、それは自己とのきびしい対決であり、芸術への開眼のための苦闘であり、誰もが一度はくぐらなくてはならない関門でもある。誰の手もかりられず不安と忍従の入り交じった先の真暗な長い道のりをひたすら歩み続けなくてはならない。「これからが真の勉強だ。」という卒業の折りの教授のことばの意味がやっとわかりかけたような気がした。


そして私の青春はこの暗い模索を抱いたまま第二次大戦の渦中へ巻き込まれて終わってしまった。
( 東京在住)

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